風雅乃徒然~風雅乃絵姿管理人の独り言~

風雅乃絵姿の管理人の日々思っている物事を綴っています。

風雅乃徒然

私と時代衣装との出会いとは如何に。

私は母が着物好きであると言う事でそれが影響してなのか、1歳になる頃には浴衣を着ていたりしてそれとなく着物には馴染んでいました。

結婚に伴う引っ越しの絡みで生い立ちの写真を整理してデータ化出来る物に関してはスキャナーで取り込んでデータ化していましたが、着物と言っても浴衣になるのですが、最も古い時期の写真では1歳の頃に撮影したであろう物があります。

ただ、その当時の写真で良く見られるような絹目加工がされている写真でデータとして取り込むと写真の画質が粗くなってしまって、この場で掲載したくとも掲載出来ないような状態の物になっています。

子供の頃の写真で何らかの和装での物を探そうとして写真が光沢仕上げになっている物でと言う事で調べていると4歳頃の浴衣姿の写真がありましたのでそれを紹介させて頂こうと思います。

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こちらが、鮮明な写真のデータとして残っている物では最も古い和装での写真になります。 撮影時期は1982年の夏でその当時に住んでいた地域の夏祭りに出掛けた時に撮影したであろう写真になります。 浴衣姿ではありますが、昭和時代の物らしく古典的な絵柄の浴衣で子供が着る設定であると言う事もあって肩上げもされていて、帯も兵児帯になっています。

写真としては残っていないのですが、その当時は夏祭りの時期もそうですが、正月になるとほぼ欠かさず着物姿になっていた印象がありました。 今思えばですが、7歳の七五三の時により良い状態で着物を着る為の練習として着せて頂いていたのかもしれません。

ただ、その頃から何となくではありますが、時代衣装に対する憧れがあったのか、冬の時期で何枚も布団が用意される時には十二単を意識して家中にある布団を着物のように羽織ってそれを何枚も重ねていた記憶は今でも残っています。

でも、私が時代衣装に憧れるきっかけになったのはNHK大河ドラマでは無かったのですよね。 時代衣装を基にしているのかと言う事はその当時では知らずに、父とテレビで見ていた大相撲中継の行司さんの行司装束を見て単純にそれが格好いいと思っていたのが時代衣装に対して興味を持つ事の始まりになりました。(相撲ファン歴は約40年と長いですが、71歳になる父親が言うには私はその当時では北の湖千代の富士の相撲を見て喜んでいたようです)

小学校に入って歴史の授業の場でその行司装束が鎌倉時代の武士の衣装である直垂を基にしている事を知りましたが、その後2001年頃に時代衣装が一般人でも購入出来る事を知ってそう言った衣装を持っていた方がウェブサイトを作られていて、その方にメールで連絡をして出会って直垂の実物を見せて頂いたのが大きな転換期になりました。

それでその方に貸して頂く形で鎧下着として着用する扱いの鎧直垂を着たのが時代衣装と着用し始めたきっかけになりました。

その方は相撲に関しての知識がどのようにあったのかは今となっては分かりませんが、私に鎧直垂を着せて頂いて、さらに後の時代になって行司装束の基になっている直垂が鎧直垂である事も知りました。

その方とは現在では疎遠になっていますが、装束店の存在を教えて頂いてそれで実際に直垂を購入したのが2003年になります。 その当時から女性向けの袿が購入出来る事を知っていましたが、時代衣装を購入するのであれば真っ先に直垂が欲しいと言う事で直垂を購入したのが私と装束店を繋いだきっかけになりました。

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こちらが自前の直垂を着て撮影をした物になります。 写真のデータを見ていると2008年の神戸まつりの時代行列に参加する為に自前の直垂を持参して撮影をして頂いた物であると言うのが分かりました。

白小袖に直垂に侍烏帽子に短刀に太刀ですので、まさに鎌倉時代の武士の装いになっています。 直垂は2003年に購入しましたが、その当時の価格で約60000円、太刀が約40000円、侍烏帽子が約20000円でしたが、その当時の私の仕事の月給が約60000円でしたので、2002年から月に20000円ずつ貯めて購入した形になります。

現在では時代行列の現場では下段構えですら抜刀行為は好ましくないようですが、2008年の当時では上段に構えない限りでは抜刀しても特に何も言われないような時代になっていました。

時代衣装は当初は直垂と言った男性向けの物を持っていましたが、ある時代行列に参加した時にその時の参加者の女性の方で時代衣装に関しての話題で話が盛り上がって、それでその場の勢いで袿を購入しようと思って先述の直垂を購入した時の装束店に連絡をして袿の見積もりをして頂いたのが現在の女性向けの時代衣装を本格的に買い揃えるようになったきっかけになります。

実際に見積もりをして頂いたのが2011年の夏頃でその頃には予てより介護をしていた祖母が亡くなって、介護をする状態からは解放されたと言う事でその後は短期のアルバイトをいくつか経験して袿を購入する為の予算を集める事になりました。

制作時期や支払時期の相談をしての制作の依頼ではありましたが、実際には2011年の年末頃に袿が完成して付属品と一緒に購入しました。 2011年当時の価格ではありますが合計すると350000円位の価格になっていたと思います。 その袿の購入が再びの大きな転換期になりました。

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こちらが自前の袿を着て撮影をした物になります。 こちらの袿を初めて着たのは2012年になるのですが、時代行列の場で袿の持ち込みを交渉して認められてそれで持ち込んで着用した時の写真になります。

こちらの写真は2016年の源頼朝旗揚げ武者行列に自前の袿を持ち込んでの侍女役として参加した際の写真になります。 この時はカメラ趣味の友人の方が一眼レフのデジカメを持参して来て下さってそれで撮影をして頂けましたので写真のデータを頂く事になりました。

その際にカメラ趣味の友人の方がデジカメで撮影したデータをWi-fiで転送してスマートフォンのアプリで取り込めるデジカメの機種がある存在を教えて頂きました。

そのカメラ趣味の友人の方との出会いが私の現在のカメラ趣味に対しての基になる物が出来たと言いますかそれ位の出会いになっています。

話を袿に戻しますが、白小袖と緋色の切袴(巫女が使用されている行燈仕立ての物)、単、袿を着てそれを壺装束にして頂いた物になります。 かつらと懸け守りと市女笠は主催者側に用意して頂きましたので本当に助かりました。 かつらは鬢削ぎの無い垂髪ですが、奥方役の方は鬢削ぎが付いていて侍女役の私は鬢削ぎが無い物が用意されていました。

メイクは白塗りに見えますが、実際には手持ちのファンデーションでのメイクです。 ファンデーションに関しては旧ブログ時代のモニターの案件で当選して手に入れた物でアイシャドウやアイライナー、マスカラ等は手持ちの物を使用して、口紅はこの時の為に赤色の口紅を購入しましたがそれでも500円位の物になります。

時代衣装と言っても私が好きな種類の物と言われると直垂であったり、袿であったりと言った感じで平安時代鎌倉時代の物が好きだったと言う感じです。

2011年に袿を購入してそれに飽き足らずに貯金を使って十二単や細長を購入したりしましたが、それらが実際の婚礼衣装として役に立って今となっては良い思い出になっています。

ちょっと前の記事にありますが、結い髪に興味を持つようになったのは2010年代の変身体験の世界での花魁の変身ブームになってからです。 時代衣装に合わせる為の男性の髪型と言う事では総髪の髷が好きで、女性の髪型と言う事では垂髪が大好きでした。

今では時代衣装のみではとどまらずに和装が全般的に好きです。 当面の目標は成人式の振袖姿の写真の撮り直しですが、その資金を貯める為に一生懸命に仕事をしている状態です。

成人式の振袖姿の写真の撮影が実現したら、平安装束の衣装体験や太夫や古式花魁の変身体験や舞妓の変身体験の世界に再度復帰していきたいと思っています。

特に舞妓変身の店舗は減少傾向にありますので、店舗が存在しているうちに出来る範囲で変身体験をしたいです。